ちなみに12月7日は、昭和19年に発生した昭和東南海地震にちなみ、「みえ地震防災の日」となっている。
いつものように朝御飯を食べ、いつものように東海新報を読んで出勤する。すっかりなじみ、何の違和感もなく、滞りなく朝の儀式が終了する。
今日の市役所屋上非ライブカメラは南向き。薄曇りだが暖か。 |
午前中は、昨日から作りかけている資料の続きと、週次の統計処理を同時に進める。二次選別場の責任者や骨材再生プラントの担当者に電話で確認を行う。このプラントの担当さん、お会いしたことはないが、まろやかな東北弁の使い手で、いつも電話をするのが楽しみである。
12時、大船渡では防災無線から「野ばら」が流れる。なんとなく住田は防災無線があったかな?と思いネットで調べると、実は光ファイバーが全戸に張り巡らされたサイバータウンだった。おかげでベースキャンプでのインターネットは実に快適。
仮設住宅に住まう、市役所一(?)のイケメン、S技師に伊勢うどんとふりかけを支援物資としてお渡しする。そして昨晩Facebookで友達になった、ぽっちゃりのM主任と少しお話。普段はとても物静かな方だが、実はかなりの行動派で、本当に人は見かけによらない。来年企画しているイベント、ぜひ参加したい!
午後、N課長補佐とT副技監が時間のかかりそうな来客対応をしている間に、県庁からK氏とよくお会いするS氏が来庁される。補助金に関する書類や、年明けに予定されている査定に関する打合せを行う。1か月半が過ぎ、業務内容の理解も進んだため、話のツボがつかめるようになってきた。しかし、この流れで査定を迎えられたら絶対うまくやれるのに・・・と後ろ髪をひかれる思いがする。
夕方のミーティングでは、課長ががれきの処理済みのボリュームについて説明された。早くから二次処理を手掛けていたことから、県内の市町村の中ではたぶん一番進捗していると思われる。宮古、山田、大槌は最近事業者が決定、釜石はこれから入札にかけられることになる。ちなみに、環境省のマスタープランでは、平成24年3月を目途に災害廃棄物の仮置場への移動を完了、中間処理・最終処分はストックできるものを除き、平成26年3月末を目途としてる。
業務終了後、陸前高田へと向かう。野々田の交差点に近いところに、ツリーが輝いていた。話は聞いていたが、整地が終わったところに燦然と輝いている。まわりに灯がないため、ひときわ目立っている。写真は後日。
そして、最近行きつけの星石油店へ。帽子を後ろ向きにかぶり、ヘッドライトをつけたいつもの店員さんが出迎えてくれる。中で飲み物と、高田復興支援キーホルダーを買い求めつつ、伊勢海老せんべいを差し入れる。帰り際、店員さんがもう一つキーホルダーをくださった。しまった、また支援されてしまった・・・
Fさんの仮設住宅に向かう途中、イルミネーションを見つける。
写真はイマイチですが、本物はきれい! |
Fさんからは、クリスマスプレゼントとしてミサンガをいただいた。「三陸に仕事を!プロジェクト」の一環で作られた「環(たまき)」と名付けらたもので、漁網と麻ひもでアレンジされている。早速、身に着ける。被災木のブレスレットと仲良く同居している。
緑はウインター・バージョン |
震災がなければ、人生の中で、Fさんと出会うことはおそらくなかっただろう。しかし、今はこうしてお宅にお邪魔し、ご飯をいただいている。
震災がきっかけで、たくさんの人がこの地を訪れ、たくさんの支援、そして情報がもたらされている。この街が次のステージに行くために、必要と思われる多様性が生まれている。
普通に暮らしていた人たちが、前に向かって突き進んでいく人になったり、何かをずっと待っている人になったり・・・
Aさんの一言が印象的だった。
「この街の以前の姿を見てほしかった・・・」
しかし、この家はいつも光り輝いているように思う。そして、仮設住宅の軒先に、電飾を飾っている家庭があった。Fさんもおっしゃっていたが、少し心に余裕ができたのかもしれない。
Fさんは、おおふなとさいがいエフエム管理者のS氏やKojikaの奥様とも懇意にされており、しかも一番驚きだったのが、なんとミサンガに使われてる漁網を、LAWBLOWのSTOCKが加工していること・・・
国道340号線を住田へと向かう。ところどころ、イルミネーションが山間の街を彩っている。
ベースキャンプに到着すると、杣遊会のM氏からお電話が。土曜日は、丸太ストーブを作るとのこと。見たことのない謎のアイテムに、ますます興味が出てきた。
大船渡への派遣も、もう終盤を迎えつつある。やっと、いろんな人とつながってきたのに。仕事もプライベートも、これからというのに・・・