2011年12月1日木曜日

#43 空回り

少し寒いが、天気は良い。

いつのも儀式を済ませようにも、朝御飯がなかった。近所のコンビニでサンドイッチを買い、車内で食べる。今日は少し出遅れてしまったので、市内の様子を撮影することはできなかったが、セメント工場の煙突からケムリが立ち上っているよ、とS課長補佐に教えてもらう。

午前中は補助金周りの書類を整える作業を続行する。そして、にわかにバイオマス関連の話題で色めき立つ。がれきから選別された資源が、さらに多方面で利用されることに期待したい。

昼過ぎ、日本災害情報学会のA氏から連絡があり、秋刀魚だし黒船で昼食を済ませたので市役所に向かうとのこと。しばらくして到着の報があり、A氏のほか、NHKのF氏、TBSのA氏、元NTT東日本のT氏、民間研究機関のMさんを市役所玄関に出迎える。懐かしい顔あり、初めての顔あり。

T副技監と農林センターとのやりとりにかかる電話を傍受していたため、少し出遅れて3階の委員会室に出向く。防災管理室のS係長とM氏からのヒアリングが始まっていた。
日本災害情報学会の東日本大震災調査とデジタル放送研究会の合同調査で、基本的には、統一の調査表に基づき行われる。
震災直後の市役所におけるライフラインの状況やその後の復旧、防災無線の放送内容、情報の入手や提供方法などについて聞き取りが行われた。

3月11日の地震では、当初の津波警報に付随して発表された津波の高さが低かったことが課題とされ、気象庁が見直しを行っている。防災無線で高さ情報を流したか?という質問には、当日は、地域防災計画に定められた例文に則って、高さ情報を付加せず放送し、付帯的情報として盛川の越流などが加えられたとのこと。

また、電力の復旧は比較的早かった(2日)が、通信については、NTTの局舎が浸水したため、固定電話とインターネットが長期間利用できなかった。インターネットについては、JAXAやWIDEプロジェクトの協力により、暫定的に通信ができるようになった。市内でも時折見かける「IPSTAR」というサービスが利用された。

ほか、消防団員を兼任している職員の取扱や、津波浸水予測と実際の浸水域との関係、市内60超の「字」ごとにワークショップを運営し、津波避難計画を作成したなどの事例紹介もあった。

調査票以外の質問になると、メンバーには元記者の方もみえるため、シビアすぎるときもあり、市役所職員として防戦に回る。

途中、T副技監から、この次にヒアリングを予定しているおおふなとさいがいエフエムの管理責任者S氏がお見えですよ、と連絡があり、ダッシュで2Fに向かい、無理をいってお待ちいただく。
しかし、調査票の最後まで辿りついたときには、既に予定を1時間超過しており、S氏は別の要件ですでに市役所を後にされていた。
ご多忙の中、長時間拘束してしまったことに強い自責の念に駆られた・・・機会をみて謝罪に伺いたいと思う。

夕方のミーティングをおえ、防災管理室にヒアリング中にお願いしてあった資料を取りに伺う。M氏は仮設住宅の希望者に配布された情報端末「Le Chien(ルシアン)」用のコンテンツを作成されていた。Openofficeで作成されたテンプレートをベースにしている。端末は最近のスマートフォンと同じAndroidが搭載されている。近いうちに詳細をうかがいたい。

市役所を後にし、盛の活酒や あらきに向かう。A氏の同僚が過去に勤められていたお店である。新鮮な刺身やなどをいただきながら、それぞれの想いがでる。南相馬にいるMさんの親族の話。漁村の高台移転を加速するツールは軽トラではないかという話。大船渡は昭和35年のチリ地震津波の教訓が生きていると思うといった話・・・

いい時間になり、代行を頼んでベースキャンプに戻る。今日は2台。
途中、Mさんがドライバーにいろいろとうかがう。高田に住んでいること、当日は従業員一同一旦避難したが、社長の判断でさらに高台へと移動し、難を逃れたこと・・・

到着後、2台でこの値段?と言いながら、1名いないことに気付いた。それぞれが、それぞれのクルマに乗っていると勘違いし、置いてきぼりにしてしまった・・・若干ご立腹のご様子でタクシーで到着。点呼の重要性を理解した。そして、代行代もやはり1台分しか支払われていなかった・・・