ベースキャンプのスタッフの方に部屋をノックされるが、人前に出られる状況ではないので、私を気にせずに出発してほしいと伝える。しばらくして内線電話が鳴り、「お待ちになられていますが・・・」
ダッシュで準備を済ませ、ロビーで学会のメンバーに挨拶する。
今日の市役所屋上非ライブカメラは西向き。抜けるような青空だが、寒い |
今日は朝から県職労のY氏が訪問された。農業土木の技術系で大学の同級生、N氏も同していた。Y氏からは、派遣職員で私が最北であることや、現在の労働環境についてのヒアリングが行われた。他の派遣先と比べて、ここはとてもいい雰囲気であると伝えられた。
しかし、三重のことを聞いたら、若干浦島太郎になっていた・・・
せっかくの機会なので、市職労のK書記長の元に案内する。震災以降、心労が重なっている職員も多いとの話がなされた。
以前、職場で入札の話題が出たので、県の入札システムの公開情報を確認してみた。しかし、あまりの入札不成立の多さに少し驚く。しかも、理由は参加者がゼロか1社のため。理由は推測することしかできないが、今後の復興における課題の一つになりうるかもしれない・・・
T副技監とアスベストに関する業務の調整を行ったあと、各ブロックの撤去率が未報告の担当者に弱く督促をする。
夕方のミーティングで、課長から話があった。
東京出張から帰って、道路の電光表示に「がんばろう!東北」と書かれているとプレッシャーを感じるが、あきらめずに復興に向かって進んでいこう、と。
そして、日曜日に久慈市のアンバーホールで「リアス・ハイウェイ早期実現久慈大会並びに八戸・久慈自動車道整備促進住民大会」が開催されると案内された。ちなみに、三陸道の整備済み区間は全体の40%弱。今後10年で全通を目指しているが・・・今は久慈まで4時間かかる。
市役所を後にし、学会のメンバーと合流するため南三陸町に向かう。
45号線を南下すると市内ですこし混雑するので、三陸道の大船渡インターに向かう。しかし、北向きもやや渋滞していた。三重で毎日出くわす渋滞に比べたら軽いので問題ないが・・・
終点の通岡インターで45号線に合流し、高田の街を抜ける。仮設の気仙大橋を通り、交差点を左折したところに星石油店というガソリンスタンドがある。建屋は残存しているものの、津波により大きく損傷している。
給油中に店内に伺い、少し立ち話をする。適切な避難がなされ、従業員は全員無事だったこと。5月25日から営業再開されていること。社長はもと外航船の船員さんで、四日市にも何度か寄港したことがあること!
寒中、給油をしてくれたスタッフとも少し言葉を交わす。お互いの健康を気遣い、引続き45号線を進む。気仙沼の街を抜けるまでは、少し詰まった感じのペースで進む。
しかし、暗くなってからの45号線は危険に満ちている。幅の狭い仮橋や、大きめの段差、そして直前まで予告のない迂回路・・・改めて、ここは被災地なんだと思った。
目的地である南三陸ホテル観洋は、そびえたつという表現がぴったり。駐車場が大混雑という情報を伝えらえていたが、本当にクルマでいっぱいだった。運よくスペースを見つけた。
メインとは違うエントランスから入ったが、想像を絶する巨大さだった。まごついていたら、スタッフが案内してくれた。
南三陸ホテル観洋は、津波により2階の大浴場から下が破壊された。そして一時期は町民の避難場所としても活用されていた。7月上旬に前を通過した時は、まだ避難所だった。
圧倒的な収容力と女将の機転、そして施設やスタッフの質の高さ。南三陸の迎賓館というより、宮殿といった方がふさわしいかも・・・
部屋に荷物を置き、食堂に向かう。今日は誕生日だから、というわけではないが、こちらに来てから一番豪華な晩御飯になった。
あわび最高 |
そして、壮絶なボリュームに、食べ終わるまで2時間強を要した。
いよいよ、大浴場に向かう。無防備な状態で津波という事態は想像したくないが・・・
広大な脱衣場。広大な浴場。すべてスケールがデカい。そして露天風呂に行く。この高さから海面までは10数メートルはありそうだが・・・
日が変わって、床に着く。なぜか今日は寝付けない。すでに2時を回っていた・・・