2011年12月7日水曜日

#49 イルミネーション

ここのところ、あまり寒くなくちょうどいい。
ちなみに12月7日は、昭和19年に発生した昭和東南海地震にちなみ、「みえ地震防災の日」となっている。

いつものように朝御飯を食べ、いつものように東海新報を読んで出勤する。すっかりなじみ、何の違和感もなく、滞りなく朝の儀式が終了する。
今日の市役所屋上非ライブカメラは南向き。薄曇りだが暖か。
今日はほぼフルメンバーがそろっている上に、現場担当の職員も数名滞在しており、朝から大賑わいである。
午前中は、昨日から作りかけている資料の続きと、週次の統計処理を同時に進める。二次選別場の責任者や骨材再生プラントの担当者に電話で確認を行う。このプラントの担当さん、お会いしたことはないが、まろやかな東北弁の使い手で、いつも電話をするのが楽しみである。

12時、大船渡では防災無線から「野ばら」が流れる。なんとなく住田は防災無線があったかな?と思いネットで調べると、実は光ファイバーが全戸に張り巡らされたサイバータウンだった。おかげでベースキャンプでのインターネットは実に快適。

仮設住宅に住まう、市役所一(?)のイケメン、S技師に伊勢うどんとふりかけを支援物資としてお渡しする。そして昨晩Facebookで友達になった、ぽっちゃりのM主任と少しお話。普段はとても物静かな方だが、実はかなりの行動派で、本当に人は見かけによらない。来年企画しているイベント、ぜひ参加したい!

午後、N課長補佐とT副技監が時間のかかりそうな来客対応をしている間に、県庁からK氏とよくお会いするS氏が来庁される。補助金に関する書類や、年明けに予定されている査定に関する打合せを行う。1か月半が過ぎ、業務内容の理解も進んだため、話のツボがつかめるようになってきた。しかし、この流れで査定を迎えられたら絶対うまくやれるのに・・・と後ろ髪をひかれる思いがする。

夕方のミーティングでは、課長ががれきの処理済みのボリュームについて説明された。早くから二次処理を手掛けていたことから、県内の市町村の中ではたぶん一番進捗していると思われる。宮古、山田、大槌は最近事業者が決定、釜石はこれから入札にかけられることになる。ちなみに、環境省のマスタープランでは、平成24年3月を目途に災害廃棄物の仮置場への移動を完了、中間処理・最終処分はストックできるものを除き、平成26年3月末を目途としてる。

業務終了後、陸前高田へと向かう。野々田の交差点に近いところに、ツリーが輝いていた。話は聞いていたが、整地が終わったところに燦然と輝いている。まわりに灯がないため、ひときわ目立っている。写真は後日。

そして、最近行きつけの星石油店へ。帽子を後ろ向きにかぶり、ヘッドライトをつけたいつもの店員さんが出迎えてくれる。中で飲み物と、高田復興支援キーホルダーを買い求めつつ、伊勢海老せんべいを差し入れる。帰り際、店員さんがもう一つキーホルダーをくださった。しまった、また支援されてしまった・・・

Fさんの仮設住宅に向かう途中、イルミネーションを見つける。
写真はイマイチですが、本物はきれい!
家に帰ってきたような雰囲気で出迎えていただく。支援物資をお渡しすると、晩御飯をご馳走になってしまった。今日は娘のAさん手作りのカレー。家庭の香りがする、まろやかな味がとてもうれしかった!
Fさんからは、クリスマスプレゼントとしてミサンガをいただいた。「三陸に仕事を!プロジェクト」の一環で作られた「環(たまき)」と名付けらたもので、漁網と麻ひもでアレンジされている。早速、身に着ける。被災木のブレスレットと仲良く同居している。
緑はウインター・バージョン
Fさんとは、いろいろとお話をした。仮設住宅にいつまで住まえるのか?もう、被災地に住んでいる人も震災を忘れてしまっているのではなかろうか?つらい思い出は忘れたいけど、忘れることはできないこと・・・

震災がなければ、人生の中で、Fさんと出会うことはおそらくなかっただろう。しかし、今はこうしてお宅にお邪魔し、ご飯をいただいている。
震災がきっかけで、たくさんの人がこの地を訪れ、たくさんの支援、そして情報がもたらされている。この街が次のステージに行くために、必要と思われる多様性が生まれている。
普通に暮らしていた人たちが、前に向かって突き進んでいく人になったり、何かをずっと待っている人になったり・・・
Aさんの一言が印象的だった。
「この街の以前の姿を見てほしかった・・・」

しかし、この家はいつも光り輝いているように思う。そして、仮設住宅の軒先に、電飾を飾っている家庭があった。Fさんもおっしゃっていたが、少し心に余裕ができたのかもしれない。

Fさんは、おおふなとさいがいエフエム管理者のS氏やKojikaの奥様とも懇意にされており、しかも一番驚きだったのが、なんとミサンガに使われてる漁網を、LAWBLOWのSTOCKが加工していること・・・

国道340号線を住田へと向かう。ところどころ、イルミネーションが山間の街を彩っている。
ベースキャンプに到着すると、杣遊会のM氏からお電話が。土曜日は、丸太ストーブを作るとのこと。見たことのない謎のアイテムに、ますます興味が出てきた。

大船渡への派遣も、もう終盤を迎えつつある。やっと、いろんな人とつながってきたのに。仕事もプライベートも、これからというのに・・・

2011年12月6日火曜日

#48 いつかは気仙市

今日はすっかり風も止み、やや暖かな朝。

いつものように東海新報に目を通すと、DMV(Dual Mode Vehicle)と呼ばれる、鉄道とバスのハイブリット車の導入が読者によって提案されている・・・だめだ~!鉄道じゃないとだめだ~!!!
鉄道は、街を形作る重要な要素。駅は人や情報の交差点となる。しかし、一日の利用客が、大船渡線の盛駅で300名強、大船渡駅で2ケタはやはり厳しいか・・・東京発、盛改め新大船渡行三陸新幹線「うみねこ」を期待していたが。
今日の市役所屋上非ライブカメラは南向き。風がなく穏やか。
昨日届いた支援物資のうち、モロゾフのお菓子を臨時職員のOさんに託す。
早速朝一、N課長補佐から「メール転送しといたから・・・」。あー、絶対ヤバい!補佐曰く、「面倒な中身じゃないよ」と。
とりあえず添付ファイルを開くと、案の定ブービートラップが仕掛けられていた。即戦闘態勢に入る。ある数値の計算をするのに必要な資料が見つからない。急ぎ、県庁に電話で依頼する。

昼休み、追加支援物資を取りに行き、課長やN課長補佐、T副技監、税務課のFさんにお渡しする。松阪牛を所望されていたU係長には、特別に松阪牛チップスをお渡しした。

今日は災害査定やヒアリングなどがあり、一時的に課内が5人前後になる。昨日暖房の配管が破損していることが判明し、一時的に停止されているからか、人が少ないからかわからないが、足元がとても寒い。庁舎管理の方が置いていってくれたファンヒーターが重宝している。

15時過ぎ、N補佐とT副技監が船舶解体現場の完了確認に出向く。現場には跡形もなく、きれいに整備されていたそうだ。

夕方のミーティングを終え、大阪市のTさんから赤崎の石碑の写真をいただく。市役所を後にし、クリーニングを取りに行ったのち、たばこ屋さんに寄ってからKojikaへ。
前回訪問した時、マスターが「今日は味噌煮込み!」とおっしゃってみえたので、対抗するために支援物資の伊勢うどんをお届けする。
するとマスターが、「伊勢うどんが30食送られてきて、毎日伊勢うどん食べてるよ~」と。しまった、かぶった・・・しかし、いろんなアレンジで楽しんでいるし、違う麺もいいね!とお褒めいただく。
今日は大盛り。神奈川産みかんをいただきました。
奥様といろいろとお話をした。やはりどうしても話は津波のことになってしまった。
せっかくだから、最後の晩餐はKojikaにしようかな・・・

ベースキャンプに到着する直前、好(たか)の前を通ったら灯がついていた。引き返して、日曜の太鼓がとてもよかったとお伝えし、支援物資の伊勢海老せんべいをお渡しする。少しお話タイムとなった。
やはり、話は地震のことになってしまった。停電で情報源がほとんどない中、炊き出しをしていたら突然マスクをして室内に入れと言われたこと。放射能の問題のこと。地元であった「えげつない」出来事のこと・・・

今日の東海新報の一面に、復興住宅の土地の確保に苦戦しているという記事があった。大船渡は、尾鷲のようにいきなり切り立った山になっているわけではなく、後背地として日頃市があるし、もう少し足を延ばせば住田の世田米がある。とくにベースキャンプ周辺は潤沢に用地の確保することが可能である。

おたかさんとの話の中で、市町村合併のことがでた。3年ほど前、気仙でも合併議論が盛り上がったようだが、現状は3市町とも独立している。
津波という災難から永遠に離別するため、3市町が合併して「気仙市」を新設、世田米に市役所を設けてはどうだろう?なんていう話にもなってしまった・・・

結構いい時間になってしまい、ベースキャンプに戻ると新たなお届け物が。H先輩から宮の雪到着!

2011年12月5日月曜日

#47 Mega

とても寒い朝だ。しかも小雪が舞っている。雪が積もっていないのがせめてもの救いである。
ワイパーも、サイドブレーキも凍っておらず、無事にベースキャンプを出発する。
今日の市役所屋上非ライブカメラは東向き。雪で山が見えず・・・
朝からT副技監が「これ知ってる?」と、おおふなとブログを紹介してくれた。現在の執筆者は同じフロアの臨時職員の方!身近にブログを書いている人がいたなんて・・・

今日は職場にあまり人がおらず、撤去の進捗状況をまとめた書類の提出やルーチンの統計処理などをこなす。

先日の東海新報で「気仙環境未来都市」のことが書かれていた。政府の新成長戦略に基づいて取り組まれている「環境未来都市構想」の実現に、陸前高田市、住田町と協働で提案している。
この中では、住田町世田米にある県有地(400ha以上!)を生かしたメガソーラーや、コンパクトシティ、EVの活用などが構想されている。
11月下旬にヒアリングが行われ、既に講評が公開されているが、評価されている部分と実現性に疑問符がつけられている部分があり、今後の状況を見守っていきたい。

大船渡と陸前高田は、昔からライバル関係にあるらしい。岐阜県にある某市と某市のようにいがみ合っているわけではないが、協働して何かを成し遂げようということは、今までなかったかもしれない。
しかし、震災以降、以前にも書いたが書類を融通したり、陸前高田のがれきが大船渡のセメント工場で処理されたり、大船渡市議のS氏が高田松原の被災木のブレスレットをつけたり・・・(これはあまり関係ないかも)。震災を機に、より一層気仙の絆が深まって行けば、と思う。
時には手をつなぎ、時にはお互い切磋琢磨し・・・

そういえば、全く日の目を見ることはなかったが、3年ほど前に若手のワーキンググループでメガソーラーだけでなく、EVやスマートタウンなど構想し、提案したことがあった。
三重県内のリソースを生かしたリーズナブルなEVの開発、廃線跡を活用した「EVスマートウェイ」、メガソーラーとスマートタウン、世界遺産熊野古道をエコに楽しめるEVカーシェアと鉄道の魅力向上。うーん、今のこの地方にマッチしそうだ!と勝手に思ったり・・・

夕方のミーティングでの課長の一言は、自信に満ち溢れていた。
日曜日に、久慈で開かれた三陸道整備促進大会するため、国道45号線を北上し、各地のがれき撤去状況を確認したところ、大船渡が最も進捗していると感じた、と。
そして、課長にお願いしてあったブツを受領する。本当にありがとうございます!

月曜日は恒例の洗濯。いつものコインランドリーに出向くが、やはり暖房の設定温度は12℃・・・
心苦しい思いをしつつも、クルマの中で暖を取りながら、読みかけの「津浪と村」に目を通す。

津波から逃れるための訓練の必要性について書かれた一文を見て、今日のニュースを思い出した。岩手県庁で行われた震災対応に関する職員アンケートで、「他部局との連携が消極的だった」という意見が多かったそうだ。普段やっていないことを、いざというときにだけやろうとしても無理があるのは、昔から言われ続けている・・・

洗濯を終え、晩御飯の調達のためサン・リアに向かう。やはりというか、ある程度は想像できていたが、総菜コーナーにはほとんど何もなかった。やむなく、かんぴょう巻とから揚げを手にする。

ベースキャンプに戻ると、部屋に段ボール箱が2つ。
心の母、亀山のSさんと、飲み仲間のH先輩からの贈り物!まさしく、「メガ」支援物資というにふさわしく、三重の名物が大量に!!
モロゾフのお菓子、伊勢海老せんべい、松阪牛チップス、伊勢うどん、関の戸、かたやき、伊勢海老ふりかけ、松阪牛ふりかけ、極めつけは三岐鉄道応援のお酒!
三重の気持ちを、気仙でお世話になった方々にお届けしようと思う。

2011年12月4日日曜日

#46 山間に響く音色

強風が吹き、とても寒い朝となった。

惰眠をむさぼっていたら、杣遊会のM氏からお電話をいただいた。その技術に触れるべく、身支度を整える。今日は寒そうだが、とりあえずベースキャンプを出る。

直線距離で300mのところにある機械屋さんの店先が、杣遊会の活動スペースである。ベースキャンプにもチェーンソーの音が聞こえてくる。M氏は既にリスを1匹掘り終えていた。
昨日の朗読会の出演者が、チェーンソー・アートに深い関心を寄せておられたので、お土産用に小さ目のリスを2匹掘る。作業はあっという間に終わってしまった!
このようなアングルから撮影はダメですよ!
ちなみに、創作に使われるチェーンソーは、バーに特徴がある。
通常のチェーンソーに比べるとやや細身でとがったような形をしており、微細な加工をする際には、軽量で短めのものを利用する。
一旦作業が終わり、前にもお邪魔した理髪店「好(たか)」に向かう。先客が2名みえ、コーヒーをいただきながらスマホをいじって待つ。

時間は既に11時半を回っていたが、今日はオーナーの晴れ舞台、「住田町歳末たすけあい芸能祭」での演奏が控えているため、超高速で刈りあがる。
オーナーの友人もみえ、いつの間にか衣装への着替えが終わっていた。

チェーンソー・アートの見学中、あまりに寒かったので、ベースキャンプでパッチを装備するなど立て直しを行い、住田町農林会館へ向かう。
入口で500円を支払い中に入るが、お目当てのプログラムは最後なので、しばしペレットストーブの前で暖をとる。

会場の片隅でラーメンをおいしそうにすすっている人たちがいたので、買い求めようと係の方に尋ねたら、なんと無料!
濃いめのスープで、とてもおいしかった。体も温まったし。
食べ終えると、ちょうどプログラムが始まる時間になった。勇壮な鳴瀬太鼓の演奏である。
「好」のオーナーも、その友人も、見違えるようなカッコよさである。

そして、再度杣遊会のワークショップへ向かう。タバコを買い求めるために世田米の街を走っていたら、交番の前にも杣遊会の作品が!いずれ住田の街は杣遊会の作品で埋め尽くされてしまうかも(笑)
世田米は川沿いに蔵が立ち並ぶ宿場町。昼間に通ることがほとんどなかったが、よく見るととてもいい味を出している。

M氏はヤマドリの作成に取り掛かってみえたが、ほぼ出来上がりの感じがしている、作業時間30分。早い!

作品の多くは気仙杉が使われており、直径60cm級の素材がゴロゴロしているが、年輪は比較的荒く、50年生程度である。この地方では、植栽本数が3000本程度であり、あまり大きくなりすぎると市場でも嫌われるとのことだが、ここまで太った木は三重ではあまり見かけない。寒いところは成長が遅いというイメージがあったが、三重とは施業方法が異なっているのだろうと推測する。

近くに直径40cmほどのクルミの木が転がっており、早速素材として加工が始まる。以下連続写真でお楽しみいただきたい。クルミは心材と辺材の硬さに大きく差があるようで、加工が若干困難である。
ここまでの作業時間は1時間かかっていない。
ここでの作業中、ときおりギャラリーがやってくる。子連れや他の地方から来た年配の方などなど・・・
作業がひと段落し、後片付けを手伝っていると、杣遊会の事務局長がお見えになった。クルミの削りカスを、たい肥と混ぜ合わせて畑に撒くためお持ち帰り。エコである。
今日は私の装備がイマイチだったので、来週武装してこれば作ることを許すとのこと。とても楽しみである!

3人で立ち話をしている中で、週末は五葉温泉によく行っていると話をしたら、遠野にも温泉があるよと教えてもらい、今日はそちらに向かうことにする。
ベースキャンプで準備を整え、遠野に向かう。クルマが揺すられるほどの強風が吹き荒れている。

ナビでセットした温泉は、かなり特徴のある泉質だが、食事も同じ施設で済ませたかったので、人工温泉のたかむろ水光園に向かう。人工温泉と言っても、太陽光で湯沸しをするという、特徴ある施設である。

ナビ通りに行っても、遠野市内で道に迷う。遠野は平らなのに道がやや狭く、一直線の道が少ないような気がする。
本当にこの道で大丈夫なのか?というようなところを通って、施設につく。残念なことに、レストランは15時までの営業だった。震災の影響で、建物の伸縮継ぎ目のところで大きく段差ができている。

大きく清潔な風呂をでて、食事場所を探しに市内へ出る。遠野はジンギスカンが有名だが、一人で焼き肉というのも微妙なので、特に食べたいものを決めていなかったが、地元風の和食ファミリーレストラン「善兵衛」に入る。
体の中から温まろうと、鍋焼きうどんをオーダーする。この店は、食事すると自動的にサラダバーがついてくるが、なぜかご飯とみそ汁も食べ放題という、食いしん坊向けである。
揚げ餅とごぼうの天ぷら入り
机上には、昔懐かしいおみくじが置かれていて、思わずひいてみる。
大吉!
暗くなった道を、世田米へと向かい、閉店直前の八兆屋で朝御飯を調達する。レジの方が私のことを覚えていてくれた。

2011年12月3日土曜日

#45 未来人のために

南三陸の朝は、雨で始まった。

8時前に起床し、着替えてから巨大なホールで催される朝食バイキングに向かう。
舞台を前に、そうそうたる食事風景が広がっていた。和洋色とりどりのおかずを取って、食べる。
ホテルの売店では、ここ南三陸町で作られたお土産をいくつか見つけた。タコにちなんだアイテムが多かった。本物の大漁旗をアレンジしたハンチングを見つけ、これが絶対に似合う人へのお土産とした。
窓辺に訪れた鳥
強い風と雨の中、南三陸町の志津川へ向かう。ここと、陸前高田、大槌はいつ来ても切ない。
雨に霞む防災対策庁舎
その後、ベイサイドアリーナへと向かった。
7月に訪れたときは、灼熱の中に多くの避難者が滞在し、ボランティアや関係者、応援に駆け付けたAKB48と、あたりはごった返していたが、今やその喧騒は嘘のように静まり返っている。
同行していたT氏は、通信インフラの復旧のため、多くの若手を被災地に送り込んだと話されていた。被災地の現状を知り、経験を将来のために役立ててもらうために。

志津川を抜ける45号線の両側には、未解体の建物が多数残っており、雨と相まって物悲しい雰囲気が漂っていた。
南三陸を抜けると、45号線はこのあと内陸部へ向かうが、今回は国道398号線で海岸線をたどって南下する。

石巻市は、推定されるがれきの量が、岩手県の全量を上回っており、その量は環境省の推計値で616万トン。
市域は555km2と大きい部類になるが、大船渡市323km2と陸前高田市232km2を足した面積と一致する。ちなみに、岩手県災害廃棄物処理詳細計画における両市のがれき量の合計は約177万トン。

至る所にある浸水した地域を抜け、北上川の橋梁を渡り大川小学校へ。
土砂降りの中、一人の僧が経を唱えていた。
ここで起きた出来事を二度と繰り返さない。そのための努力をしよう、そう固く誓った。

がれきがうずたかく積まれた旧雄勝町の中心部を抜け、女川町へ。少しだけ高いところにある役場は、見る限り3階まで破壊されていた。
丘の上にある町立病院も浸水しており、修復作業に勤しんでいた。
町並みは完全に失われており、ところどころに花が供えられている。そのままの形で横倒しになったビルに、津波の破壊力の恐ろしさを改めて感じた。
横殴りの雨の中、398号線を石巻の中心部へと向かう。道沿いは、ずっと津波浸水の痕跡が残っている。沿線で海岸林のあるところは、建物の被害が軽減されているように思う。

旧北上川の中州にある石ノ森萬画館は、建物こそ原型をとどめているものの、入口にはベニヤ板が打ち付けられ、訪れる客を拒んでいた。
石巻市街を抜け、日和山公園へと向かった。この辺りは10年ほど前に友人のFが住んでいて3度訪問したことがあり、うっすらと残る記憶をたどってみた。Fの愛車、赤い外車のオープンカーに誤ってレギュラーガソリンを給油したスタンドは、跡形もなくなっていた。
やや遅めの昼食をとるため、A氏の希望により「ホット横丁石巻」に向かう。あいにくの雨のため、客足は鈍い。しかし、ウッドデッキの張られた施設は、トレーラーハウスの組み合わせとはにわかに信じがたいクオリティの高さである。
昼食は、大漁盛りの海鮮丼を食べた。
学会のメンバーとはここで別れ、夕方のイベントに間に合うよう、帰路につく。
以前立ち寄った林林館で、あまりの眠さに小休止する。目覚めたら辺りは真っ暗になっており、気仙沼の流れの悪さを避けようと距離優先でナビを設定したら、本吉から気仙沼の間でヘアピンの連続する山道を選択され、ややひどい目にあった。
高田で、昨日と同じスタンドで給油したら、店員さんが覚えていてくれた。

住田に到着し、詩の朗読会「ともしびの声たち」に参加する。
「ろうそくの炎がささやく言葉」という本の出版記念による復興支援チャリティ・イベントである。若干出遅れてしまったところ、M氏が手招きで会場に案内してくれた。
ちょうど、ケセン語の第一人者、山浦玄嗣氏の朗読の途中だった。重々しい声で読み上げれる内容は、残念ながら2割くらいしか理解できないが、いつも聞く地元の言葉のまろやかさとは違った、重厚感が漂っていた。

会場は、しっとりとした空気に包まれている。詩の朗読会への参加は初めてだが、コンサートなどとは違った、別の心地よさに支配されていた。
外国の方が、東日本大震災について詠んだ詩。空想の世界を描いた誌。自らの体験を詠んだもの。それぞれに良さがあったように思う。一番印象に残っているのは、ぱくきょんみ氏が詠んだもので、座敷童のことをつづったものだが、冒頭の「私はこの街を知っています」というフレーズに、少しどきっとした。
最後に、出演者が壇上に上がって会場とのやり取りが始まる。一人目の方が、高田の復興を願って涙され、会場にやや重い空気が漂った。その後、少し笑いも交わり朗読会は終了した。

この後、驚かされる事態が発生する。来場者が、自らの手で椅子を片付けている!
打ち解けたメンバーで行うイベントであればわかるが、三重ではなかなかお目にかかれない。

今日のいろいろな出来事を振り返って、街の復興について思いを巡らせた。
復興とは、未来の人たちのために、今の人たちが街を作っていくことだと思う。今回の津波により破壊されてしまった街は、昔の人たちが復興して作り上げた街である。

チリ地震津波、昭和三陸津波、それぞれがその時代の知見により、様々な角度から調べられ、後世に遺恨を残さないように、様々な取組がなされた。そして、東日本大震災も、未来人のために、あらゆる角度、視点から調査が進められている。

気仙の地でも、三重でも、今に生きる私たちの街づくりのせいで、未来に生きる人たちが悲しまないようにしなければならないと、強く、強く思った。

2011年12月2日金曜日

#44 別天地

より一段と、引き締まるような寒さになってきた。

ベースキャンプのスタッフの方に部屋をノックされるが、人前に出られる状況ではないので、私を気にせずに出発してほしいと伝える。しばらくして内線電話が鳴り、「お待ちになられていますが・・・」
ダッシュで準備を済ませ、ロビーで学会のメンバーに挨拶する。
今日の市役所屋上非ライブカメラは西向き。抜けるような青空だが、寒い
メンバーの出発を見送った後、自分も出発しようとするが、案の定忘れ物をしていた・・・

今日は朝から県職労のY氏が訪問された。農業土木の技術系で大学の同級生、N氏も同していた。Y氏からは、派遣職員で私が最北であることや、現在の労働環境についてのヒアリングが行われた。他の派遣先と比べて、ここはとてもいい雰囲気であると伝えられた。
しかし、三重のことを聞いたら、若干浦島太郎になっていた・・・
せっかくの機会なので、市職労のK書記長の元に案内する。震災以降、心労が重なっている職員も多いとの話がなされた。

以前、職場で入札の話題が出たので、県の入札システムの公開情報を確認してみた。しかし、あまりの入札不成立の多さに少し驚く。しかも、理由は参加者がゼロか1社のため。理由は推測することしかできないが、今後の復興における課題の一つになりうるかもしれない・・・

T副技監とアスベストに関する業務の調整を行ったあと、各ブロックの撤去率が未報告の担当者に弱く督促をする。

夕方のミーティングで、課長から話があった。
東京出張から帰って、道路の電光表示に「がんばろう!東北」と書かれているとプレッシャーを感じるが、あきらめずに復興に向かって進んでいこう、と。
そして、日曜日に久慈市のアンバーホールで「リアス・ハイウェイ早期実現久慈大会並びに八戸・久慈自動車道整備促進住民大会」が開催されると案内された。ちなみに、三陸道の整備済み区間は全体の40%弱。今後10年で全通を目指しているが・・・今は久慈まで4時間かかる。

市役所を後にし、学会のメンバーと合流するため南三陸町に向かう。
45号線を南下すると市内ですこし混雑するので、三陸道の大船渡インターに向かう。しかし、北向きもやや渋滞していた。三重で毎日出くわす渋滞に比べたら軽いので問題ないが・・・

終点の通岡インターで45号線に合流し、高田の街を抜ける。仮設の気仙大橋を通り、交差点を左折したところに星石油店というガソリンスタンドがある。建屋は残存しているものの、津波により大きく損傷している。
給油中に店内に伺い、少し立ち話をする。適切な避難がなされ、従業員は全員無事だったこと。5月25日から営業再開されていること。社長はもと外航船の船員さんで、四日市にも何度か寄港したことがあること!

寒中、給油をしてくれたスタッフとも少し言葉を交わす。お互いの健康を気遣い、引続き45号線を進む。気仙沼の街を抜けるまでは、少し詰まった感じのペースで進む。
しかし、暗くなってからの45号線は危険に満ちている。幅の狭い仮橋や、大きめの段差、そして直前まで予告のない迂回路・・・改めて、ここは被災地なんだと思った。

目的地である南三陸ホテル観洋は、そびえたつという表現がぴったり。駐車場が大混雑という情報を伝えらえていたが、本当にクルマでいっぱいだった。運よくスペースを見つけた。
メインとは違うエントランスから入ったが、想像を絶する巨大さだった。まごついていたら、スタッフが案内してくれた。

南三陸ホテル観洋は、津波により2階の大浴場から下が破壊された。そして一時期は町民の避難場所としても活用されていた。7月上旬に前を通過した時は、まだ避難所だった。
圧倒的な収容力と女将の機転、そして施設やスタッフの質の高さ。南三陸の迎賓館というより、宮殿といった方がふさわしいかも・・・

部屋に荷物を置き、食堂に向かう。今日は誕生日だから、というわけではないが、こちらに来てから一番豪華な晩御飯になった。
あわび最高
スタッフと少し話をした。3月11日のこと。ご自身のこと。そして大船渡との関わり・・・
そして、壮絶なボリュームに、食べ終わるまで2時間強を要した。

いよいよ、大浴場に向かう。無防備な状態で津波という事態は想像したくないが・・・
広大な脱衣場。広大な浴場。すべてスケールがデカい。そして露天風呂に行く。この高さから海面までは10数メートルはありそうだが・・・

日が変わって、床に着く。なぜか今日は寝付けない。すでに2時を回っていた・・・

2011年12月1日木曜日

#43 空回り

少し寒いが、天気は良い。

いつのも儀式を済ませようにも、朝御飯がなかった。近所のコンビニでサンドイッチを買い、車内で食べる。今日は少し出遅れてしまったので、市内の様子を撮影することはできなかったが、セメント工場の煙突からケムリが立ち上っているよ、とS課長補佐に教えてもらう。

午前中は補助金周りの書類を整える作業を続行する。そして、にわかにバイオマス関連の話題で色めき立つ。がれきから選別された資源が、さらに多方面で利用されることに期待したい。

昼過ぎ、日本災害情報学会のA氏から連絡があり、秋刀魚だし黒船で昼食を済ませたので市役所に向かうとのこと。しばらくして到着の報があり、A氏のほか、NHKのF氏、TBSのA氏、元NTT東日本のT氏、民間研究機関のMさんを市役所玄関に出迎える。懐かしい顔あり、初めての顔あり。

T副技監と農林センターとのやりとりにかかる電話を傍受していたため、少し出遅れて3階の委員会室に出向く。防災管理室のS係長とM氏からのヒアリングが始まっていた。
日本災害情報学会の東日本大震災調査とデジタル放送研究会の合同調査で、基本的には、統一の調査表に基づき行われる。
震災直後の市役所におけるライフラインの状況やその後の復旧、防災無線の放送内容、情報の入手や提供方法などについて聞き取りが行われた。

3月11日の地震では、当初の津波警報に付随して発表された津波の高さが低かったことが課題とされ、気象庁が見直しを行っている。防災無線で高さ情報を流したか?という質問には、当日は、地域防災計画に定められた例文に則って、高さ情報を付加せず放送し、付帯的情報として盛川の越流などが加えられたとのこと。

また、電力の復旧は比較的早かった(2日)が、通信については、NTTの局舎が浸水したため、固定電話とインターネットが長期間利用できなかった。インターネットについては、JAXAやWIDEプロジェクトの協力により、暫定的に通信ができるようになった。市内でも時折見かける「IPSTAR」というサービスが利用された。

ほか、消防団員を兼任している職員の取扱や、津波浸水予測と実際の浸水域との関係、市内60超の「字」ごとにワークショップを運営し、津波避難計画を作成したなどの事例紹介もあった。

調査票以外の質問になると、メンバーには元記者の方もみえるため、シビアすぎるときもあり、市役所職員として防戦に回る。

途中、T副技監から、この次にヒアリングを予定しているおおふなとさいがいエフエムの管理責任者S氏がお見えですよ、と連絡があり、ダッシュで2Fに向かい、無理をいってお待ちいただく。
しかし、調査票の最後まで辿りついたときには、既に予定を1時間超過しており、S氏は別の要件ですでに市役所を後にされていた。
ご多忙の中、長時間拘束してしまったことに強い自責の念に駆られた・・・機会をみて謝罪に伺いたいと思う。

夕方のミーティングをおえ、防災管理室にヒアリング中にお願いしてあった資料を取りに伺う。M氏は仮設住宅の希望者に配布された情報端末「Le Chien(ルシアン)」用のコンテンツを作成されていた。Openofficeで作成されたテンプレートをベースにしている。端末は最近のスマートフォンと同じAndroidが搭載されている。近いうちに詳細をうかがいたい。

市役所を後にし、盛の活酒や あらきに向かう。A氏の同僚が過去に勤められていたお店である。新鮮な刺身やなどをいただきながら、それぞれの想いがでる。南相馬にいるMさんの親族の話。漁村の高台移転を加速するツールは軽トラではないかという話。大船渡は昭和35年のチリ地震津波の教訓が生きていると思うといった話・・・

いい時間になり、代行を頼んでベースキャンプに戻る。今日は2台。
途中、Mさんがドライバーにいろいろとうかがう。高田に住んでいること、当日は従業員一同一旦避難したが、社長の判断でさらに高台へと移動し、難を逃れたこと・・・

到着後、2台でこの値段?と言いながら、1名いないことに気付いた。それぞれが、それぞれのクルマに乗っていると勘違いし、置いてきぼりにしてしまった・・・若干ご立腹のご様子でタクシーで到着。点呼の重要性を理解した。そして、代行代もやはり1台分しか支払われていなかった・・・