2011年11月25日金曜日

#37 共通項

寒い。朝晩は特に。

特に何もなく、いつものように出勤する。東海新報を読んでいたら、やや出遅れてしまった。
今日の市役所屋上非ライブカメラは南向き。寒いので今後続くかどうか・・・
朝一、市民生活環境課のS係長のところに赴き、書類作成のお願いをする。課外では、S係長が一番接触の機会が多い。

昨日の引続きの業務を行うため、いろんな簿冊を片っ端からひっくり返す。いつの間にか机の上が書類の山になっており、T副技監の机上にも「仮置場にさせてください!」などといって食い込む。

午後は電話を何本かいただいた。
一人は、三重の林業家のS氏。現在の事業の進捗やもろもろについて話をうかがった。「すっかり林業のことを忘れているんじゃないかと思って心配した!けど話がちゃんとできたので安心した。」とお言葉をいただいた。いや、むしろこちらのことを忘れられているんじゃないかって、逆に心配してました・・・
そして、県職労のY先輩。ちなみに、大学の先輩でもある。Y先輩に言わせると、三重県で一番最北に派遣されているのが、どうやら私らしい。12月2日に来市する予定があるとのこと。
そして、大船渡農林センターのO氏から、今晩の食事のお誘い。キター!

夕方、今日は幹事会社とのミーティング。各仮置場を担当する職員も参加するので、復興局の会議室は満員である。
今日は課長から、23日の東海新報の記事の紹介があった。東海新報には「世迷言」という、天声人語的コーナーがあり、23日は市の取組が絶賛されていたが、翻って24日は市への注文。
作業員の安全管理などへの注文だったが、基本適切に行われているが、改めて幹事会社にも依頼されていた。作業のディテールにもチェックが入るようになってきたということは、徐々に落ち着きを取り戻している証拠である。

ミーティングを終え、盛にある中華料理店「龍華」に向かう。到着が遅れたので、すでに会食が始まっていた。
今日は、大船渡農林センターの臨時職員の方がご退職されるということで、有志の送別会。それに部外者の私も食い込んでしまった・・・O氏、U氏、H氏、Oさん、そして退職されるYさんとお子さん2名の計8名の席となった。

女性お二人+お子様お二人が先に帰宅され、林業技師4人で懇談会となった。
地域の風習こと。結婚披露宴でなぜか最初に餅が出てきて、後の食事は「おりっこ(折詰)」に入れてもちかえること。言葉が県内でも違い、沿岸の言葉は少しきつく感じること。熊の肉は適切に処理されていれば絶品であること。おいしい日本酒のこと。ツイッターのことなどなど、多岐に渡る話で盛り上がった。
そして、以前から謎だった田んぼの畔山は、県行造林の防風帯ということも判明した。
広葉樹は防風帯
また、仕事の話では、ベテラン技師ならではの話も聞くことができ、最高に充実していた。
O氏には、お願いしてあった資料もいただき、今後現地調査の段取りもしていただいており、本当にお世話になりっぱなしである。

新しい出会いの中でコミュニケーションを円滑に進めるには、どんな些細なことでもいいので、共通の話題があると有利だと思っている。所属や仕事の内容、趣味、共通の友人、出身地、生い立ち、母校・・・
今の職場では、なかなか共通項が見つけられず、立ち入ったコミュニケーションにまで達せない自分がいる。しかし、今回は「地域機関で林業技師」という、ストライクゾーンに入った+お酒という環境だったので、いつになく、いろんな話をすることができた。

いつの間にか23時前になっており、一旦表に出る。代行を依頼してあるので、皆さんとお別れするものの、なかなか来ない。お店の方が「中で待ってたら」と呼んでくださり、あったかいお茶までいただく。
しばらくして代行の方が見えたが、以前Y先輩と一緒だった時と同じ方だった。
ドライバーと少し話をしながら、ベースキャンプへと戻った。

2011年11月24日木曜日

#36 経験

早朝から地震があった。

ややゆったりとした揺れで、「ヤバい!」と思い、スマホを見るも緊急地震速報は受信されていない。1分ぐらい続いて、落ち着いた。福島県沖でM6だった。

もう1回寝て、いつもの時間に起きる。しかし、今日は順調に事は進まなかった。
「靴下がない!」
引き出しを片っ端からあけるも、見つからない。時間は刻一刻と過ぎていく。
そういえば、クリーニングから戻ってくるとき、レジ袋に入れたんだっけ・・・
5分ほどタイムロスし、東海新報に目を通すことができず出勤する。薄曇りだが、暖かい。
今日の市役所屋上非ライブカメラは南向き。
T副技監が仮置場の温度測定に出かけたのち、N課長補佐から「メール転送しました」と言われる。振り返ってニヤリ。あ~、これは多分面倒なメールだ・・・
案の定、補助事業に関する内容で、リミットは12/9。少しあわてないといけないが、まず何がそろっていて何が不足しているかのチェックを開始する。

今日は11時から避難訓練が行われる。大規模地震発生ののち、1階税務課付近と3階水産課付近から出火したという想定である。
訓練開始の前に、3月11日の状況を少し聞いた。複数の職員が、携帯電話の緊急地震速報を確認したと発言。

訓練開始の来庁者への呼びかけののち、緊急地震速報が放送される。そして地震が落ち着いた頃、「火事だぁ~!」という叫び声が聞こえる。

自主消防隊の出動が要請され、課長が課員に命ずる。サッと数名が初期消火に向かった。私は補佐に促されて建物の外に避難する。ホースが展張された階段を、すべての職員が速やかに退出する。

駐車場の一角に集合し、4列縦隊になって待機していると、ほどなく消火活動が終了したとの放送が入り、訓練終了。引続き副市長と大船渡消防署長の講評が行われる。
副市長からは、消防団に所属している者も多いので、火災の消火は手馴れているといったことを、
消防署長からはホースの展張方法などについてアドバイスがあった。

さすが大船渡市役所、と思ったのが、自主消防隊の行動のスムースさ。誰がどの任務を、という内容は事前に定められているが、各自が与えられたミッションを着実にこなしている。三重で同じことができるかな・・・とこっそり思った。
そして、規律正しく職員が動いていること。テキパキ、という表現がぴったり。

大規模な災害はそう頻発するものではない。しかし、日頃の訓練という経験を積み重ねることにより、非常時にも沈着冷静な行動が行えるのだと思った。
とっさの時や経験していない事態に遭遇したとき、アイデアがひらめいたり機転を利かせることができるのも、平常時にどのようなアクションをしていたかによる。

午後一、水産課のU係長に書類作成の依頼に出向く。同じフロアでよくお見かけしていたが、仕事のお話をするのも初めてであれば、水産課に入室するのも初めてである。

その後、T副技監が事業者訪問と残りの分の仮置場の温度測定に向かうので、同行する。
名前だけしか知らない事業者が、どういった場所でどのような施設で業務を行っているか、与信というには大げさだが、実際見てみると雰囲気がわかる。特に環境系の事業者は、敷地内におかれているものなどを見るだけで、業務に対する姿勢などがつかめるような気がする。

旧吉浜小学校の仮置場では、オペレータに、がれきの山のだいたいのボリューム感を聞く。実際に机上で計算している値と、現場での感覚との違いを探ってみた。

途中、越喜来の三陸支所により、農林課のT課長補佐と名刺交換。農林課でも林業係は三陸支所にある。また後日、大船渡の林業の話を聞きたいこと、そして来月、とあるイベントでお目にかかるはずとお伝えする。

そののち、解体が予定されている施設を確認する。一つは、あわび増殖センター、もう一つは海水清浄施設。
痛々しい姿のあわび増殖センター
海水清浄施設
ともに、地域の水産振興に欠かせない施設だが、圧倒的な津波の破壊力によって、その役割を無理やり終えさせられた。金属製の頑丈なドアがねじ曲がっている様子は、恐怖すら覚える。

日没が急速に早まっており、16時前には薄暗くなってくる。砂子浜の仮置場についたころには、辺りは闇に包まれかけていた。
帰路、T副技監と「現場を見ないとわからないことが多い」という話になった。津波被災地のがれき撤去や解体の経験がある人材は、残念ながらここにはいない。それぞれが今までに積み重ねてきた実績と、日々変化する現場から得られる情報が、不足する経験を補っている。

帰庁したら夕方のミーティングが始まっていた。いなべ市のK氏は本日が最後の任務、明日よりS氏がメンバーに加わる。日中は顔を合わせることがほとんどないので、少しずつお互いを認識し始めたな・・・と思ったら、お別れとなる。三重に戻っても顔を合わせることはあるに違いないが、少しさみしく思う。しかし、大船渡の地で時を同じくして業務を行ったという経験は消えることはないだろう。

帰り道、リアスホールの図書館で2冊の本を借りた。一つは前から読みかけている「三陸津波誌」、もう一つは「大船渡災害誌」。
50年以上前の書籍なので大切に扱わねば・・・
市内に勤務している者は本を貸し出してもらえるが、よく考えたらそれを証明するものを何も持ち合わせていない。しかも、勤務先の電話番号を書くのに少し戸惑ったりして・・・不審極まりないが、
快く貸し出していただいた。

夕食は久しぶりに中華こけしでマーボー丼を食べる。
即、管理栄養士から突っ込みが入った晩御飯
帰路、フロント・ウィンドウに雨粒が当たった。急速に冷え込んでいるので、雪にならないといいんだが・・・

2011年11月23日水曜日

#35 Crossover Ofunato Vol.4 -山-

若干風邪気味か、少し体がだるいが、9時に起床する。

外は穏やかに晴れており、天気予報でも今日は暖かいと報じられている。パンを買い忘れていたので、インスタントのワンタンを食べた。
フロントで「代引きの荷物が来てますよ~!」と告げられる。先日、ネットで頼んだ山口弥一郎著の「津浪と村」だが、書店からの連絡もなく、少し焦る。あやしい本ではないことをアピールするため、その場で開封しておく。

ベースキャンプの近所の機械やさんが展示会をやっているとのことで、少し覗きに行く。
林業にたずさわる者なら誰でも知っているメーカーのテントが並び、チェーンソーや刈り払い機がたくさん並べられている。中には既に売約済みのシールが張られたものの。
当然、一角には杣遊会のブースがあり、フクロウの置物などが展示されている。
丸太が切られています
この展示会の目玉は、丸太切り大会。チェーンソーと二人でのこぎりで切る部があり、かなり本気っぽい人が多数。オレンジのジャケットやパンツを身に着けた人がぎっしりの現場、三重でもやったら面白いかも?

その後107号を南下し、日頃市から五葉山方面へ向かう。
日頃市の集落はいつもまろやかな雰囲気を漂わせており、永住したくなる。

五葉温泉手前には、かなり大きな多目的ダム、鷹生(たこう)ダムがある。
でかい
ダムから下流の集落を望む
ダムがあったり、味のある集落があったりと、第3の故郷、芸濃を彷彿させる。
五葉温泉の手前にダム管理棟があり、展示スペースもあるそうだが今日は閉館。

引続き、峠に向かってクルマを走らせていると、ウシさん発見!この辺りでは放牧が行われている。大船渡には本当に何でもそろっている。
大自然で放し飼い
日本離れした風景を進むと、辺りは落葉広葉樹の森になる。日頃市から釜石市唐丹に抜けるこの道は冬季閉鎖されるが、今の時期は除雪ではなく「除落ち葉」が必要なほど葉っぱが道路を埋め尽くしている。
対向車と2台ほどすれ違うと、釜石市との市境、赤坂峠に到着。標高700m超で、空気が冷たい。
市境
山小屋に薪持ってってください看板
登山道入り口と五葉山神社の一の鳥居(?)
ここは五葉山への登山口にもなっており、クルマが数台止まっていた。
五葉山はこのあたりでは最高峰で、標高1,351m。いつか登ってみたいが、今日はやめておこう。寒いし。

釜石に向けて下り始めたすぐのところに、「もりの学び舎 悪路 3.8km」と書かれた木製の看板を見つける。すっかり悪路マニアになっているので、まぁこの先、人はいないだろうなぁ~と踏んで未舗装路を行く。
これ森林公園ですから
途中、シカの群れなどを見かけ、「はたしてここは日本なんだろうか?」と思うような雄大な景色を眺め、もりの学び舎に到着。

ここは、県営大窪山森林公園のビジターセンターになっており、シティーハンターという漫画にでてきた海○○に似た管理人のM氏に出迎えてもらう。開館は5月から11月なので、今日を逃していたら訪問できなかったかも・・・
ちなみに、三重県でも2つ森林公園があるが、どちらかといえば都市型の公園っぽい感じがするので、ここのありのままの自然っぽい感じには正直驚く。こんないい雰囲気のところが三重にあったら、毎週渋滞するだろうな・・・

県営施設とはいえ、今は指定管理者が定められており、気仙地区森林組合が運営を担っている。
森林整備のことや、この館の運営のことなど多岐に渡って話を伺った。
前から気になっていた、田んぼの畔みたくなっている山は、聞いたことがあるが今が失念したとのこと。
前から気になっている山
しばらくして、常連さんがやってきた。シカの写真撮影が趣味らしく、カメラを持ってきなさいよ、とアドバイスを受けた。今日はおいてきちゃったんだよね・・・
他にも、三重大学の人が来たと話され、あ、それ母校です!とカミングアウトする。
他にも、ヒノキがないと思っていたら、昔はヒノキがあり、南部藩と伊達藩で奪い合いになったと教わった。いまでも「桧山」という地名として残っている。

M氏と震災の話題になった。組合の三陸支所が被災したこと。自らの友人のこと。趣味のこと・・・
切なくなるような話も出てしまった・・・

ここでは、定点で写真撮影が行われており、季節の変化がわかるだけでなく、紅葉のタイミングが年によって異なることも分かった。去年に比べて、今年は秋の到来が早かったそう。
館内の様子
そのあとも延々と話をしてしまった。連休ぐらいまで雪が残っていること。シカは逃げ場がなくなるとクルマの前に突っ込んでくるので注意が必要なこと。カメムシにひたすら悩まされていること・・・
結局、閉館時間直前までお邪魔してしまった・・・
玄関先のラックで「岩手の林業」なる冊子を発見し、森林組合の会報とともにあるだけもらってくる。
ちなみに、岩手の林業は月刊誌。

外はいつの間にか雨模様となっており、霧も立ち込める山道を下る。
途中、夏虫のお湯っこにより、冷え切った体を温めつつ、早めの夕食にする。
五葉温泉以外の場所で初めてひっつみを食べるが、具が微妙に違っているような気がして、オリジナリティーを感じる。

戻りがてら、マイヤで「いそべ」なども含めた買い物をし、ベースキャンプ前のスタンドで給油。
不思議というか、いい雰囲気というか、給油後にスタッフの方とのお話タイムがあるようだ。入った時はブースが埋まっていたが、どうも給油が終わっている車もある。三重ではF1のように給油即ピットアウトだが、ある意味憩いの場になっている。私も給油後に少し憩った。

2011年11月22日火曜日

#34 運命と使命

前日の雪が気になっていたが、幸い道路には積もっていなかった。
住田の迎賓館から
念のため、サイドブレーキはおろしておいたが、その必要はなかった。
東海新報の一面には、大船渡市のがれき処理について大々的に書かれていた。三重の某紙だと、一面にでかでかという時点でネタ記事が多かったりするが、クオリティー・ペーパーは冷静に事実を述べているところに好感が持てる。

住田から白石トンネルを抜けて大船渡市内に入ると、何もなかったように景色は一変した。住田は雪が多いというのは本当である。

朝のミーティングで、道路維持管理担当のS技師から、建設課総動員令が発せられる。
そしてその後、突如和服に身を包んだ集団が登場!
仮設住宅を慰問に回っている落語家のグループで、市内では3か所訪問予定だそう。
そして、T副技監の故郷、浜松市から市長が訪問され、なんと破格のご寄付を賜る式典が開催される。
←鈴木浜松市長 戸田市長→
鈴木浜松市長をお目にかかるのは初めてだが、戸田市長も初めてである。
幹部をはじめ、職員総勢50名程度が式典に参加した。
←家康君 戸田市長→  浜松市のPRワゴン↑
今回は浜松市と、地元から集められた寄付金の贈呈が行われ、公民館の建設などに活用される予定である。それにしても、職員の派遣数、今回の寄付、そして市民レベルも含めた浜松市の支援は本物である。

そして、いよいよ建設課冬の風物詩、砂袋づくりに参戦する。本日在席している職員のほとんどが参加している。
ちなみに、市内の県道、市道問わず、坂道の至る所に「犬小屋」がある。
勝手に名づけた「犬小屋」
この犬小屋の中には、犬ではなく砂袋が詰まっている。しかも、劣化した犬小屋はまず見かけず、ほぼすべて、中にきちんと砂袋が収納されている。砂はすべり止めとして活用される。
冬季は特に大量消費されるため、今回は第1次総動員作戦が挙行された。
出来上がった砂袋の山
荒めの砂に、塩化カルシウムを混合し、スコップ隊、袋隊、輪ゴム隊がてきぱきと作業を進める。途中課長も激励にみえ、熟練した職員の指導の下、次々に砂袋が量産された。
しかし、この作業は今後もありますよ、と告げられる。

午後は、環境省の岩手県支援チームの巡回訪問があった。今回は特に仮置場の火災予防に主眼が置かれ、管理方法などについてヒアリングが行われた。
その後、トンボロの仮置場に当然のごとく「黒パジェ」で向かい、COや温度の計測が行われた。

仮置場では手作業による分別が真っ盛りだったが、ここは五葉山から吹き降ろす「五葉おろし」が直撃するので、正直相当寒い。作業に従事されている方の体調などを考えると、何らかの対策の必要性を感じた。
課長が助手席に座られたので、少し話をした。三陸道を走行中、ここから津波が来るのを見たという場所を通りかかった。

課長(当時は課長補佐)は消防団の副分団長でもあり、地震発生後に自分の地区に戻ろうとした。しかし、国道45号線は既に混乱しており、大船渡インターから三陸道に乗った。そして、ちょうど市内が一望できる場所で・・・

その後、私も消防団員であるとか、課長が大船渡市役所を就職先に選んだ理由などをうかがった。ここに就職したこと、そしてこの時期にこのポストに就かれていることは運命かもしれない。そして、大船渡市民のためにその使命を全うされている。

明日か、来年か、10年後か、それよりもっと先かわからないが、いずれ三重にも津波がやってくるだろう。私の生まれた街は、1959年の伊勢湾台風で壊滅的な被害をこうむった。今の街は、その教訓が生かされているはずだが、50年の歳月は記憶を風化させるには十分すぎる。
いずれ来るであろう津波に対し、残された時間はわずかかもしれない。そうなれば、出来ることは限られてくる。

私は三重で生まれ、三重で育ち、三重で働いている。それは運命かもしれない。
しかし、置かれた立場で、来るべき災害に備えベストを尽くすこと。それが私の使命なんだと、改めて感じた。

三重で行われる大規模地震災害に対応する訓練は、発災時刻が執務時間外に設定されるケースが多い。執務時間内に発生した場合の訓練も実施すべきだな、と思った。執務時間内でしかわからない想定もあるはずだ。

夕方のミーティングを終え、いつもと違うコインランドリーに向かった。キャパシティーが従来比2倍で、生乾きを部屋干しするという苦痛から解放された。しかし、待っている間は、暖房器具の設定温度が12℃であるという、新たな苦痛が生まれてしまったが・・・

体が冷え切ってしまったため、晩御飯は「元祖宝介」でニラ南蛮ラーメンを食べる。
ネーミングからして、超辛かったらヤバい!と思いつつ、出てきたラーメンはよく見かける醤油とんこつ系だった。野菜不足解消のため、野菜ギョーザも注文する。
ベースキャンプに戻ると、なぜかあまりにも体がだるいので、何もせず寝た。

2011年11月21日月曜日

#33 言葉の魅力

朝から小雪がちらついている。

洗濯物とクリーニング物で両手いっぱいになりながら、クルマに向かう。
外は一段と寒い風が吹いている。

朝、いつも忘れてしまうお弁当の注文を、今日は実行することができた。1週間分を頼んでおく。
T副技監は、土曜日にボランティア活動に参加していた。末崎にある県有の漁業関連施設の片付けに行ったそうだが、「あんなのバキュームで吸っちゃえばいいんですけどね~」といつもの調子で憎まれ口を叩くが、作業の達成感や参加メンバーから多くの情報がもたらされると聞いて、すこしうらやましくなる。こちらにいる間に何とか1回くらいはと思ってはみてるのだが・・・

午前中はN課長補佐もT副技監も外出し、頼まれた書類の作成などをする。
赤崎の現場から、大阪市より派遣のS氏がやってきて、写真の印刷を頼まれる。外はかなり寒くてつらいとこぼされている。室内は日差しがあるので、外の寒さが嘘のように適度な温度に保たれている。そういえば、T副技監も浜松では絶対暖房がついていないから、こちらの方がはるかに快適と絶賛していた。

昼、陸前高田のFさんから今晩戦略会議を決行する旨の連絡があった。

午後、建設廃材のリサイクル・プラントの方からK係長宛の電話がある。不在を告げると、「コンガラの件で・・・・」
あ、それ私が係長に頼みました件です!と伝え、数量などをうかがう。こちらの方言で話されるので、なんとなくまろやかな気分になり、気持ちが穏やかになる。

そして、流れ着いたロール紙のことが話題になる。業務用の巨大な物体で、高さ1.2mほど、直径約1m、巻いてある紙は8km!人で動かすのも不可能である。いったいどこから来たのだろうか・・・

夕方のミーティングが終わり、激寒の中いつものクリーニング店に寄り、手土産を調達して高田へ向かう。今日は道が思ったより空いている。

Fさんのみえる仮設住宅に到着する。ここはプレハブタイプで、50弱の世帯が生活している。
お宅にお邪魔すると、長女のAさんが出迎えてくれた。久しぶりにこたつにあたっていると、しばらくして、同じ仮設に住むK氏がやってきた。

いろいろと世間話が弾む中、作戦会議を始める。
しかし、作戦の中心となる事項は、すべてK氏が手はずを整えておられ、K氏が関係先に連絡すると、ことは万事順調に運んでいた。思わずガッツポーズ!
作戦会議はここでひとまず終了。以後、団らんタイムとなる。

FさんとK氏の会話は、聞いているだけでうれしくなる。「おぢゃっこ」「めんこい」「んだぁ」など、東北の言葉の心地よさにぞくっとする。
K氏が、「ふぐをあぶる」とおっしゃったので、え?ストーブでふぐの干物でもあぶって食べるんですか?と質問したら、笑いを誘ってしまった・・・正解は、「服を乾かす」という意味である。

他にも、「なげる」は「捨てる」、「あだまきってくる」は「散髪する」、こちらでもあまり話されなくなったようだが、「ごめんください」といった意味の「もぅし」など。K氏が東京の居酒屋で、注文しようとしても店員さんに気付かれなかったので、「もぅし!」といったところ、店内がシーンとして全員が気づいてくれたなど・・・東北弁のマスターにはまだまだ時間が必要だ。
しかし、逆にFさんからは四日市や関西の人が電話を通じて話す言葉がわからない時があると・・・

仮設での生活についてもいくつか話を伺った。プチプチを使って、冷たい仮設を暖かくしようとしていること。仮設団地間で物資の偏りがあること。急に水道が出なくなった時があったこと。前に住んでいた地区ごとになんとなくギャップがあること・・・

しかし、Fさんは仮設全体に目配りをしており、独居の方の軒先にハンカチを出す取組をやってみたい、段ボール置場のテントに水が入ってしまって、早朝から片付けている人に申し訳ないなどなど・・・今回の作戦会議も、Fさんが住民同士で集まって「おぢゃっこ」をするための場がほしいというものである。

結構長居させていただき、再会を告げて仮設を後にし、竹駒にある仮設店舗のコンビニによる。
店員さんから「こんばんは」と声をかけられ、こちらも挨拶する。三重にいるときは、機械的に無表情になげかけられる声に反応することはあまりなかったが、ここでは店員さんの顔を見てあいさつした。

住田に向かう国道340号線では、雪が視界を遮ってきた。
ベースキャンプに戻ると、駐車してあるクルマがうっすらと雪化粧をしていた。

部屋でテレビをつけると、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」が放送されていた。テレビを見ながらふと、三重で「親方」と呼んでいる知人のことを思い出した。
「水上く~ん、あんな~、」「そんなんでけへん!」「あの人の話きいとったら暗闇いく」など、巧みな三重弁が頭の中をよぎった。

父は愛知、母は岐阜、祖母は名古屋弁ネイティブだったので、三重弁が話される環境で育っていたにも関わらず、いつの間にか自分の言葉はニュートラルな感じになってしまった。
以前は標準語と呼ばれていた共通語は、全国でその意味を理解しあうことができるが、なんとなく味気がなく、ドライな感じに思えてしまうときがある。

穏やかで心に響く東北の言葉は、そこに住む人々の気持ちを表しているのかもしれない。

今日は写真がないので、住田の超スパルタンな松日(まつび)橋の画像をどうぞ。

2011年11月20日日曜日

#32 語り継ぐ

外が何やら騒がしく、時計をみたら8時前だった。
無理やり2度寝を敢行するも、今日は無理・・・

お湯を沸かしてコーヒーを飲み、朝食をとってから出掛ける。今日もとても暖かい朝である。

こちらに来てから興味の出てきた気仙大工のことを知るために、高田の小友町にある気仙大工・左官伝承館に行く。
寺社仏閣の建築などにもその技術を顕示した、この地方発祥の出稼ぎを主とした大工集団である。
気仙大工の技が凝集された立屋棟
先に建物で見学していると、ほどなく建物の管理を行っている説明員の方がみえた。
気仙大工の仕事の特徴や建物内部について、丁寧に説明いただく。
縁との境にあるギャップ。葬儀などの際、縁のある人は畳側に上がることができる。
火打ち梁(といわないそうだが)と「かまどの神」
神棚のある部屋。飾られているのは「気仙丸」の模型
精密な細工のなされた欄間。四隅の窓はねずみが通過するためのもの。
書院の明かり窓に施された細工。見る角度によって表情を変える。
気仙大工の技の特徴、扇張り。
軒下の「せがい造り」。この建物は四方せがい。
囲炉裏。上にはダイコンと柿が置かれている。
資料庫の木札がかけられた蔵。
明治時代のものをイメージして建てられたそうだが、気仙地方には大変立派な家が多く、寺と見間違えるようなものも散見される。決してこの建物のスケールが特別大きいものではないような気がする。
地震により、壁が若干損傷を受け、蔵の瓦も一部脱落したそうだが、見ての通り建物はびくともしていない。

説明員の方と、少し話をする。
管理棟の木製サッシが不愉快な音をたてて恐ろしかったこと。芝生の広場に避難していたら、津波が押し寄せた高田の街から土煙が上がったこと。家族は全員無事だったこと・・・
そして、高台にあって普段は比較的静かなこの場所に、難を逃れる方がたくさん訪れたこと。津波で散逸した品の保管庫があり、訪問者に改めてこの場所の魅力を感じてもらえたこと・・・
12月10日には、神戸から未来を照らす希望の灯が届けられることになる。改めて訪問したい。

その後、12:30に間に合うようにサン・リアに向かう。今日はLAWBLOWのインストア・ライブがある。
10分ほど前に到着すると、会場には人だかりができていた。
初見から1週間、車内でヘビー・ローテーション化しているので、「家に帰ろう」は口ずさめるようになった。
←STOCK $-LD(エスエルディー)→
会場は老若男女問わず、手拍子や笑顔にあふれていた。歌を通じて、被災地の思い、被災者の想いが伝わっていく。アンコールを含めて30分強で終了し、CD「復興者」をお土産にもう一枚買おうかと思ったら、直前で売り切れ・・・大船渡在住LAWBLOWの人気恐るべし!

MCの$-LDの一言がとても印象に残った。
「ここでは、まだ何も終わっていないし、何も始まっていない・・・」

サン・リアのフードコートにハンバーガーショップがあり、特色ある地元産材のハンバーガーがそろっている中、住田産の豚肉を使った「ありすポークカツバーガー」をオーダーする。
ふわふわのバンズにジューシーなありすポークのカツが絶妙なハーモニーを奏でる。大船渡はファスト・フードでさえ侮ることは出来ない。

ついでに、店内で売っていた、さいとう製菓の揚げまんじゅうを2個買ってクルマに乗り込む。
先週、N先輩に教えてもらった唐桑半島ビジターセンターに向かう。

45号線を南下するが、久しぶりに雨の降っていない高田を通り過ぎる。
そそり立つ一本松
唐桑半島の案内表示に沿って曲がり、しばらくすると「からくわ復興感謝祭」の会場を目にするが、すでに終了時間を過ぎており、警察官が通過するよう手で合図をしている。

ビジターセンターに到着すると、県外ナンバーのクルマが数台止まっていた。
ちなみに、大船渡の小学生も遠足に訪問する施設である。
管内には、津波関連資料や再現模型などが展示されている。当然、3月11日に関連した写真も多数展示されていた。
説明書きのいたるところに、熊野灘や尾鷲市など三重に関連する表記が見られ、親近感がわくとともに三陸と同様に津波常襲地であることを改めて認識する。
津波実験施設
施設は1984年に完成し、折しも日本海中部地震の直後であり、映像資料も見ることができた。

そして、ここの施設の目玉ともいえるのが、津波体験館。
津波の再現映像とともに、冷たい風が吹き、座席は振動する。館内は一人っきりだったので、正直、心理的にかなり動揺した。

センター内には、書籍が置いてあるコーナーがあり、大船渡市役所発行のチリ地震津波復興誌が置かれていた。市役所でも見たことがない・・・
また、受付カウンター奥には、大船渡市や旧三陸町、大槌町の観光ポスターが当時のまま掲示されており、貴重なアーカイブとなっていた。
ちなみに、気仙沼と陸前高田、大船渡は生活圏として一体となっているようだ。三重で例えるなら、尾鷲-熊野-新宮といった感じか?

ここでも、係の方と30分ぐらい立ち話をした。
地震があった時、館内が停電してしまったこと。電話は通じたけど市役所には全くつながらなかったこと。帰り道が津波で被害を受けており、田んぼや畑を通って帰宅したこと。伐採されたアカマツを燃料にし、お湯やお風呂を沸かしたこと。自転車で買い物に行き、リュックいっぱい、両手も塞がっているのに、途中でリンゴをもらってしまったこと。ここには書けないが、人として許されざる行為が横行していたこと・・・

人々は、あらゆる手段を使って津波の恐怖を伝えようと努力してきた。書物、石碑、和歌、言い伝え、絵画・・・。近代以降は、写真、音声が加わった。
そして現代。未来を予測するシミュレーションやそれを元に作成されたハザードマップ、アニメーションやCG、衛星写真やハイビジョン映像、さらには絵本や漫画、歌詞、博物館や展示施設などその方法は多岐にわたる。

今では多くの情報がデジタル化され、劣化せず、居ながらにして入手できるようになった。しかし、情報はそこにあるだけでは価値を生まないかもしれない。津波の記憶を語り継ぐ人と組み合わされることによって、はじめて次の世代に受け継がれていくのではなかろうか。
この被災地にいる人たちは、誰もが語り部である。つらく、思い出したくないこともたくさんあることと思う。しかし、2011年3月11日に起こった出来事を、後世にむけてぜひ語り継いでいってほしいと切に思った。

せっかく気仙沼に来ているので、また今日も復興屋台村に向かう。
まぐろ丼は、最高においしく、一瞬で食べ終わってしまった・・・残念。
しまった!ビジターセンターの方に懐中電灯を用意しておけと言われていたのに、乾電池を買い忘れた・・・手回しで頑張ろう!

2011年11月19日土曜日

#31 地元を愛する人たち

久しぶりに強めの2度寝をしてしまい、起きたら11時半だった。
電話をしたり、身支度を整えたりして、小雨の降る中ベースキャンプをを出る。

昼御飯を食べに、前から行きたかった「まるぜん」に向かう。盛街道こと国道107号線沿いに新装開店した店は、もとは大船渡の中心部にあったそうだが、津波により被災し、移転したとのこと。
店の前では待っている人たちがいて、大盛況。前の組が店内に入っていったのに続いて、丸椅子で待っていようと思ったら、相席を進められたので遠慮なくのめりこむ。

女性3名のグループと相席になり、少し言葉を交わす。
ふと、斜め向かいの方が「岩手県ボランティアセンター」の名札を付けていたので、いくつか質問した。地元在住でボランティア活動に勤しむ方、3月11日の出来事を契機に、地元の一大事に尽力すべく職を辞し、大船渡に戻られた方、そして北海道から長期にわたって活動に参加されている方・・・
地元を愛する強い気持ちがあるからこそ、他の地方の人たちを引き付ける力にもなっているような気がする。

街は、半年前は県外ナンバーであふれていたこと、飲食店がほとんど開いていなかったこと、今も片付けや写真洗浄などのニーズがあること・・・まだまだ知らないことがたくさんある。

自分の出身や職務などを話しているうちに、サンマの話になった。北海道、三陸、そして三重での食べ方、それぞれ独自の文化があることに気付いた。北から南へと回遊するさんまにちなんだネットワークが築けそうな気がしてきた。

注文した天ぷらうどんは、濃いめの汁にエビの天ぷらが一つ。
みんなおいしいと言っていたが、もちろんおいしかった!

そして、本日のメインイベント、「3鉄まつり」に向かう。盛駅前は、テントが数張。いつもと違う雰囲気に心躍る。
まず、お目当ての岩手開発鉄道ブースに向かう。デッドストックの切符、キーホルダー、マグカップ、ダイアグラムなど手当たり次第買ってしまった・・・
そして、最近ツイッターで相互フォローされているAさんはみえますか?と尋ねると、ああっ!お互い初対面!
ツイッターからリアルに出会うことがあるとは思ってもみなかった。

その後、構内に展示してある三陸鉄道の車両を見学。マスコット「さんてつくん」が出迎えてくれる。
フォルムは某県のごみゼロキャラクター「ゼロ●」と酷似
「釜石」の行き先表示が切ない・・・
特産「ころ柿」のすだれ
今度はJRの盛駅待合室の写真コーナーに赴く。
写真は、東北への石油輸送列車や、三陸鉄道の車両が盛岡まで検査のため回送されるシーンなどマニア垂涎のものから、津波で被災した施設、盛駅の浸水状況、岩手開発鉄道の復旧の様子など、心打たれるものもたくさんあった。また、全国のファンから贈られた超絶うまいイラストも。
駅の外には、津波で被災したと思われる鉄道設備が置かれていた。
写真を見る限り、ほぼ新規路線の建設に近い状態だった。8か月弱で運行再開にこぎつけた各位のすさまじい努力に敬意を表したい。
そして、三鉄クレープを食べる。売り上げの一部と、店側から三陸鉄道に寄付が行われる。
かもめのチョコが三陸っぽい
最後に岩手開発鉄道の方に無理やりお願いして記念撮影。
快く応じていただきました(^^)v マジで!
今運行してるのは岩手開発鉄道のみの「1鉄」だが、三陸鉄道とJR東日本を合わせた「3鉄」になる日を心待ちにしている。
機関車側面の椿マークに地元愛を感じる。
そののち、昼食時にアドバイスをうけた「雪用ワイパー」なるものを買いにサンデーに向かう。
雨用との違いは、ばねの部分がゴムで覆われていることと、おそらく拭き取りゴム部の質が違うのだと思う。郷に入れば郷に従え。

雨が止まないので、リアスホールの図書館に再度向かう。
エントランスで「水上さん!」と声をかけられ、「えっ!」と思って振り返ると、税務課のFさんの娘さんだった。なにやらこの街に溶け込んできたような感じがして、少しうれしくなった。

昨日に引き続き「三陸津波誌」を読む。しかし、ちょっと眠くなってうたた寝・・・
目が覚めてから再度読み始めると、しばらくして職員の方から「閉館時間ですが・・・」
えっ!そんなに寝てしまったのか!と思ったら、土日は17時まで。禁帯出のこの本、はたして読み切れるのだろうか。

少し早かったが、晩御飯を食べにKojikaへ。奥さんに、「ちょうど店を開けたばっかり」とナイスタイミング。前から気になっていた「フルーツカレー」を注文する。
最近、三重の管理栄養士(?)から野菜が少ないと指摘が入るので、ミニサラダも合わせて注文。
くだものがいっぱい!
マスターと少しお話をしていたら、店内がにぎわってきたので、いつもの五葉温泉へと向かう。
途中、たぬきを轢死させそうになり・・・
レストラン閉店後の畳部屋は、数名がごろ寝するという退廃的な空間になっていた。

霧が立ち込める盛街道をベースキャンプへと戻る。
パソコンを開いてFacebookやTwitterを見ていたら友達リクエストが。やった!初めての大船渡の友達だ~っ!わーい!